2017年12月17日日曜日

文在寅大統領の北京大学講演

韓国の文在寅大統領は1213日~16日、中国を訪問。習近平国家主席と会談したほか、日本の植民地期に独立運動をたたかっていた大韓民国臨時政府の最後の拠点、重慶市を訪れて「韓国建国のルーツ」と向き合うなど「歴史色」の濃い旅となった。

文大統領訪中のそんな色合いは、大統領が15日に北京大学でおこなった講演からもうかがえた。その内容は、歴史認識で日本が「修正主義」に立つ限り、韓国はますます日本から遠ざかり、中国に近づいていくであろうことを予感させる。

北京大学の学生、教職員らに「韓中青年の力強い握手、共につくる繁栄の未来」と題して話した講演で、目についた部分を以下に抄訳しておきたい。韓国大統領府のHPの講演文をテキストとして使った。http://www1.president.go.kr/articles/1784
北京大学で講演する文在寅大統領=青瓦台HPより
 
■日本の陸軍大将らを殺傷した民族の英雄
私が中国に到着した13日は「南京大虐殺」80周年を追慕する日でした。韓国人には中国の方々が味わったこの悲惨な事件に深い共感と同情の気持ちがあります。この不幸な歴史で犠牲になったり、今も痛みを抱える方々にご慰謝の意を申し伝えたく存じます。

このような不幸が二度と繰り返されないよう、私たち皆が過去を直視し、省察しながら東北アジアの新しい未来への門、協力の門を大きく開いていかなければなりません。

1932429日、上海の虹口公園で朝鮮の青年、尹奉吉が爆弾を投げつけました。そこで催されていた日本の戦勝祝賀記念式(ママ)を膺懲するためでした。尹奉吉は韓国独立運動史における英雄の一人です<*>

彼の行動によって韓国の抗日運動は中国といっそう固く手を取り合うこととなりました。尹奉吉は現場で捕まり、死刑にされましたが、いま魯迅公園と名前を変えた虹口公園には彼を記念して梅園という名の小さな公園がつくられています。誠にありがたいことです。
 
 
 
ソウルの孝昌公園にある尹奉吉の墓
 
<*訳注>尹奉吉(ユン・ボンギル/190832)は、韓国忠清南道出身。中国に渡り、上海の大韓民国臨時政府で活動していた独立運動家金九(18761949)の指令を受け、1932429日、上海虹口公園で開かれた「天長節祝賀会」に集った日本の要人たちに手榴弾を投擲した。これによって、上海派遣軍司令官陸軍大将の白川義則ら2人が死亡。ほかに第3艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎(のちに外相、駐米大使など)、第9師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在公使重光葵(のちに外相など)ら多数が負傷、野村は隻眼となり、重光は片足を失った。尹奉吉は現場で逮捕され、上海派遣軍軍法会議で死刑判決。大阪衛戍刑務所をへて同年12月、第9師団の駐屯地だった石川県金沢市の軍法会議拘禁所へ移され、同市内で銃殺刑に処せられた。

■韓中が協力し合った歴史
同様に、韓国にも中国の英雄たちを称える記念碑や祠(ほこら)があります。三国志演義の関羽は忠義と義理のシンボルとしてソウルの東廟はじめ各地に関帝廟が設けられています。

韓国全羅南道莞島郡では壬辰倭乱[文禄・慶長の役]の際、秀吉の軍を撃破した朝鮮の李舜臣将軍と明国の陳璘将軍をいっしょに称える事業が進んでいます。韓国ではいま、陳璘将軍の子孫2千余人が暮らしてもいます。

光州市には中国人民解放軍歌を作曲した韓国の音楽家、鄭律成を記念する「鄭律成路」があり、いまも多くの中国人がそこにある彼の生家を訪ねています。

毛沢東主席が率いた長征には朝鮮の青年も加わりました。韓国の抗日軍事学校だった「新興武官学校」の出身で広州蜂起(広東コミューン)に参加した金山<*>です。彼は延安で抗日軍政大学の教授を務めた中国共産党の同志です。

私はおとといの13日、彼の孫の高雨原氏に会いました。その方は中国人ですが、朝鮮人だった祖父を尊敬し、中国と韓国の間の深い友情に包まれて暮らしておられます。
 
<*訳注>金山(キム・サン)は、米国人女性ジャーナリスト、ニム・ウェールズの『アリランの歌ある朝鮮人革命家の生涯』 の主人公であり、共著者。

中国と韓国は近代史の苦難をいっしょに味わい、克服した同志です。私は今回の中国訪問がこのような同志的信義に基づき、両国関係をもう一段階高める出発点となるよう希望します。また、私は中国と韓国がかつて「植民、帝国主義」に共に打ち勝ったように、いま東北アジアが直面する危機をいっしょに克服していくことを願っています。

■戦争再発はあってはならない
北朝鮮は今年に入ってからだけでも15回にわたって弾道ミサイルを発射し、6回目の核実験を敢行しました。とくに先ごろ発射したICBM級ミサイルは朝鮮半島と東北アジアを越え、世界平和に対する深刻な危機となっています。

北朝鮮の核・ミサイル問題は単に韓国だけの問題ではありません。北朝鮮は中国とも接しています。北朝鮮の核開発とそれに伴う域内緊張の高まりは韓国だけでなく、中国の平和と発展にも大きな脅威になっています。

韓中両国は北朝鮮の核保有はいかなる場合も容認できず、北朝鮮の挑発を防ぐために強力な制裁と圧迫が必要だという確固たる立場を共有しています。

また、朝鮮半島での戦争再発は決してあってはなりません。北朝鮮の核問題は究極的には対話を通し平和的に解決されなければならないという点でも深く共感しています。

私たちが望むのは北朝鮮との対立や対決ではありません。北朝鮮が正しい選択をする場合、国際社会とともに明るい未来を提供できるということをいま一度強調したいと思います。

「二人心を同じうすれば、その利、金を断つ」(二人同心、其利断金)といいます。韓国と中国が同じ心で共に力を合わせれば、朝鮮半島と東北アジアに平和をもたらすうえで、どんな困難をも克服できるでしょう。

■平昌冬季五輪を平和五輪に
私たちは朝鮮半島に平和を定着させる重要な転機を迎えています。来年2月、韓国の平昌で冬季オリンピックが開催されます。平和を愛する世界のスポーツ関係者らは平昌冬季五輪が平和五輪として成功することを望んでいます。

去る1113日、国連総会でオリンピック休戦決議案が193加盟国のうち中国を含む157カ国の共同提案で、表決なしに満場一致で採択されました。これは朝鮮半島の平和に一歩近づくことを願う世界の人々の念願を反映したものと考えます。

また、2020年には東京で夏季五輪、2022年にはここ北京で冬季五輪が開催されます。東北アジアで連続して開かれるオリンピックの成功を、朝鮮半島と東北アジアの平和と共同繁栄をはかるよい機会としていくよう、提案したいと思います。

■人生楽在相知心
王安石の詩、明妃曲の一節が思い浮かびます。「人生楽在相知心」(人生の楽しみは知己を得ることにある)。私は中国と韓国が「易地思之」(相手の立場に立って考えてみる)の関係へと発展することを願います。

人と人の関係と同様、国家間の関係にも困難なことは常にあり得ます。しかし数千年にわたって続いてきた韓中間の交流の歴史は、両国間の友好と信頼は決して容易に揺るぎはしないことを証明しています。

私は「疎通と理解」を国政運営の基本に据えています。これは、国と国の関係にあっても同じことだと考えます。両国があらゆる分野で心を開き、お互いの声と考えに耳を傾けるとき、誠意ある「戦略的疎通」が可能となるでしょう。

指導者間、政府間、そして国民一人ひとりに至るまで両国が緊密に意思を通い合わせ、相互理解を深められるよう努力したいと思います。私は、私たち両国が困難を克服し、平和と繁栄の運命を共に切り開いていくことこそが両国民共通の願いであり、歴史の大きな流れであると信じています。

そのためには両国間の経済協力と同レベルにまで政治と安全保障の分野における協力もバランスよく発展させていく努力が求められるでしょう。

■「地上にもともと道はなかった…」
25年前の国交正常化が何の困難もなく達成されたものではなかったのと同様、両国が共に開いていくべき新しい25年も多くの人々の努力と熱誠を必要としています。ここにいる皆さんこそ、まさにその主人公となるのです。

韓国でも広く知られた中国の文豪、魯迅は言っています。「地上にもともと道はなかった。歩く人が多くなれば、それが道になるのである」<*>と。

<*訳注>魯迅著『故郷』の締めくくり部分からの引用。

未知の未来を切り拓く皆さんのチャレンジ精神が中国と韓国の「新しい時代」を引き寄せるものと信じます。皆さんの熱誠と明るい未来が韓中関係の新しい発展につながることを祈念致します。
 

2017年11月26日日曜日

「性奴隷」ではだめなのか/拝啓 吉村大阪市長さま

拝啓 吉村洋文大阪市長さま

米サンフランシスコ市に建てられた慰安婦像が市有化されたことをめぐり、あなたは大阪市が60年間にわたって続けてきたサ市との姉妹都市関係を断つと表明されました。そんな報道に接し、ぜひ、いまいちど慰安婦問題を根本から考え直していただきたいという思いから、この拙文を綴っています。
 


あなたは像の碑文に大きな不満を持っておられるようです。

「旧日本軍によって数十万人の女性や少女が性的に奴隷化された」「ほとんどが捕らわれの身のまま亡くなった」……。とくに「性的に奴隷化」という表現に強く反発しておられるといったような報道もありました。「日本政府の見解と違う」とも主張しておられるようです。

■「河野談話」
慰安婦問題に関する日本政府の見解といえば、19938月に宮沢内閣の河野洋平官房長官が公表した「河野談話」があります。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
同時に内閣官房内閣外政審議室の文書も発表されました。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

河野談話を要約すれば、慰安所は「当時の軍当局の要請により設営された」とし、その設置や管理、慰安婦の移送に「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」と認め、元慰安婦に「心からお詫びと反省の気持ち」を表明しているわけです。
 


付け加えれば、これを「歴史の教訓として直視」し、「歴史教育」などを通じて「永く記憶にとどめ」ていく、ともしており、教科書掲載も念頭にあったと思えます。

この河野談話に関しては韓国など慰安婦被害者を抱える関係国もいったん納得したかのように見えていたのですが、その後、とくに安倍首相が登場してからは様相が変わってきました。安倍首相は「河野談話の見直し」などを主張していたからです。

実際、安倍首相は河野談話の検証に取り掛かったのでした。これについては「作成過程」を検証するもので「見直すことはない」と表明したのですが、靖国神社参拝や「侵略の定義は定まっていない」などとする発言も重なって関係国の不信を深めたのでした。

■「性奴隷」
そんな経過をへて安倍首相はいま、この問題について「政府が発見した資料には軍や官憲による強制連行を直接示す記述は見られない」などと持って回ったような言い回しをしています。「政府の見解」を重んじているようにみえる市長もやはり、そういう立場なのでしょうか。「軍や官憲の関与」はともかくも「性奴隷」などというものではなかった、と言いたいのだと思います。

確かにこの問題には、十分に解明されているはといえない面があります。実態はどうだったのか。慰安婦被害者の証言がすべて正しいとも言えないかもしれません。しかし私は、「性奴隷」という表現それ自体を全面否定してしまうわけにはいかないだろう、と考えています。

実際、あの時代、朝鮮半島出身の慰安婦は国際社会からは「性奴隷」と見られてもおかしくない状況があったのだと思います。次のようなことです。

■カイロ宣言
日本はあの戦争で、ポツダム宣言(19457月)を受け入れ、降伏に至ったことは改めて言うまでもありません。そしてそのポツダム宣言は、194311月に米英中3国首脳(ローズヴェルト大統領、チャーチル首相、蒋介石総統)が発したカイロ宣言を踏まえたものであったこともこれまた言うまでもありません。

そのカイロ宣言は朝鮮について何と言っていたか。そこでは「3大国(つまり、米英中)は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」としていたのです。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/002_46/002_46tx.html

つまり、あの時代、植民地朝鮮の人々は「奴隷状態」に置かれているとみられていたのです。そうだとすれば、朝鮮人慰安婦は、「強制」であったのかどうかという以前に「奴隷状態」におかれていたとみなされていたのであり、「性奴隷」と言われてもしかたがなかったのではないでしょうか。

■「ポツダム」受け入れ、国際社会へ復帰
その後1945814日に日本が連合国に受諾を通告したポツダム宣言は、「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく…」(第8条)となっていました。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

815日、天皇がラジオ放送でその受諾を国民に知らせ、92日、東京湾内の米戦艦ミズーリ号上で日本は連合国との間で降伏文書に調印したのでした。

ついでに、おさらいをしておきますと、連合国軍の占領下におかれた日本は19519月、米英など48カ国とサンフランシスコ平和条約を締結。翌524月にその平和条約が発効して日本は主権を回復、国際社会に復帰していったのでした。つまり、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意」するとしたカイロ宣言や、それが「履行せられるべく」としたポツダム宣言を受け入れることによって日本の国際社会復帰が認められたというわけです。

■姉妹都市解消は考え直すべきだ
さて、サンフランシスコの慰安婦像の碑文のことです。市長は、「性奴隷」という表現以外にも慰安婦の総数や被害実態に関する記述に大きな不満を持っておられるようです。それらについては十分解明されたといえないことはすでに指摘したとおりです。その点、「違う」と思われることがあったら、はっきり「違う」と伝えるべきでしょう。

しかし、それで姉妹都市関係を断ってしまうというのはどんなものでしょうか。大阪市議会の自民、公明市議団も慰安婦像・碑文の設置には反対としつつも、次のような申し入れをしています。

「この問題については国と綿密な連携を取り、姉妹都市の解消ではなく交流を通じて解決に努めることを求めます」

その通りだと思います。市長は12月中には姉妹都市解消の手続きを済ませたいという意向のようですが、考え直すべきです。いまからでも遅くはないのです。

■ワイツゼッカー演説
いま、市長にぜひ、お読みいただきたい演説文のことが思い浮かんでいます。戦後ドイツと周辺国の和解に貢献したワイツゼッカー元ドイツ大統領が、第2次世界大戦でのドイツ敗戦40周年にあたった198558日に連邦議会でおこなった演説です。

「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」というフレーズで知られる、あの名演説です。そこには次のようなくだりがありました。以下、その翻訳「荒れ野の40年」(永井清彦訳/岩波ブックレット)からの一部抜粋です。

▽大抵のドイツ人は国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。ところが、一切が無駄であり無意味であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった、ということが明らかになったのであります。
▽(戦後を)振り返れば暗い奈落の過去であり、前には不確実な未来があるだけでした。しかし日一日と過ぎていくにつれ、58日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。......ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります。

▽今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。
この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。ドイツ人であるというだけの理由で、粗布(あらぬの)の質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。

▽問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
http://hasabang.blogspot.jp/2015/02/

■先人が遺した過去の遺産
私がとくに心打たれるのは、敗戦の日から時間がたつにつれて、しだいにそれが「解放の日」であったことが分かってきたという点、そして、ドイツ人であるということだけで悔い改めることはできないが、先人の遺産については罪の有無を問わずわれわれ全員が過去を引き受けなければならないとした点です。

そうです。日本にとってもあれは、私たち国民に主権のなかった時代、私たちがそういう状況を許してしまった時代に、時の権力者がとんでもない暴走をしてしまったのです。

そんな時代から私たちは解放されたのです。国民が初めて主権を得たのです。
とはいえ、だからと言って、私たちは責任を逃れることはできません。先人が遺した容易ならざる過去の遺産は、私たち全員が引き受けなければならないのです。

吉村市長、どうぞもう一度考え直してみてくださるよう、お願いします。
                                   敬具

2017年10月4日水曜日

安倍首相は北朝鮮と対話をすべきだ

「対話の努力は時間稼ぎに利用された。今後ともあらゆる手段による圧力を最大限まで高めていく他に道はない」

929日の衆院解散表明で、安倍晋三首相はこう述べた。


遊説でも「圧力」を強調しているようだ。

しかし、それでいいのか。圧力を最大限に高めた、その先に何があるというのか。北朝鮮はそれで「降参」し、核を放棄するというのか。戦争にならないという保証はあるのか。何よりも首相自身、この間どれほど「対話の努力」をしてきたというのか。

■国連総会でも「圧力」強調
安倍首相は920日、国連総会一般討論演説でも同じように「対話より圧力を」と訴えた。
国連総会で演説する安倍首相=官邸HPより
次のような内容だった。
(官邸HP http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0920enzetsu.html

「国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は(米朝)枠組み合意、次には六者会合(6者協議)によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けた。しかし我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は核、ミサイルの開発をあきらめるつもりなど、まるで持ち合わせていなかったということだ。対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」

結果、核兵器がなく、弾道ミサイル技術も成熟に程遠かった北朝鮮がいまや水爆とICBMを手に入れようとしているとし、次のように断じた。

「対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算あって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか」

■信頼欠いた「約束」
確かに、北朝鮮は国際社会の目を逃れて核開発を進めてきた。対話を「時間稼ぎ」に利用した面もなかったとはいえない。しかし、一方で日米韓などによる対話努力が十分尽くされたとは言えないのも事実だ。

安倍首相が国連演説で挙げた2つの対話例のうち、まず1994年の「枠組み合意」を見たい。
これは、北朝鮮が黒鉛減速炉や関連施設を凍結する代わりに米国が軽水炉建設の支援や代替エネルギーの提供を行うなどとしたもので、安倍首相はこう指摘した。

「日米韓は(枠組み合意の)翌年3月、KEDOをこしらえる。これを実施主体として北朝鮮に軽水炉2基をつくって渡し、エネルギー需要のつなぎに年間50万トンの重油を与える約束をした。これは順次、実行されたが、時を経るうち、北朝鮮はウラン濃縮を着々と続けていたことが分かった」
 
この期間、北朝鮮は「ウラン濃縮を着々と続けていた」と断定できるのか。実際のところ、米国は200210月、北朝鮮側が訪朝した米高官に「高濃縮ウラン施設建設」などを認めたと発表したが、確証は示されなかった。その後、北朝鮮は099月になって国連大使が「ウラン濃縮実験成功」を表明。確認できたのは翌2010年、現地を訪れたヘッカー米スタンフォード大学教授らによってであった。
 
ともあれ、北朝鮮側だけが合意に背いた、とする見方は一面的に過ぎる。北朝鮮への軽水炉提供は2003年までの完成を約束しながら工事は大幅に遅れていたのである。

合意ができたのは金日成主席死去のすぐあと。当時、日米韓では北朝鮮の崩壊論がまことしやかに語られていた。米政府も「そのうちに崩壊する」と見込み、初めから本気で取り組んでいなかったとの証言が関係者から出ている。米朝間に信頼関係が築けていなかったのである。

■「行動対行動」
次に、2003年に始まり、059月に共同声明を出した「6者協議」。安倍首相はこれについて、こう説明した。

「(共同声明で)北朝鮮はすべての核兵器、既存の核計画を放棄することと、NPTIAEAの保障措置に復帰することを約束した。さらに20072月、共同声明の実施に向け、6者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまる。北朝鮮に入ったIAEAの査察団は、寧辺にあった核関連施設の閉鎖を確認、見返りとして北朝鮮は重油を受け取るに至った」

それなのに、そんな6者協議のかたわらで北朝鮮は20052月、核保有を宣言し、翌0610月、第1回の核実験を公然と実施した、と安倍首相は言う。

しかし、これもやはり一面的と言わざるを得ない。6者協議の共同声明はなにも北朝鮮に対してだけ核の放棄などを求めていたわけではなかった。そこには例えば、次のような内容も盛り込まれていた。

▽米国は北朝鮮に対して核兵器または通常兵器による攻撃または侵略を行う意図を有しないことを確認した。
▽北朝鮮と米国は相互の主権尊重、平和的共存およびそれぞれの政策に従って国交を正常化するための措置をとる。
▽北朝鮮と日本は平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として国交正常化のための措置をとる。

そして、6者はこれらを「約束対約束、行動対行動」の原則に従って段階的に実施していくために調整された措置をとることで合意したとしていたのである。
(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html

■「国交正常化のための措置」も約束
つまり、これを北朝鮮側から見るとき、もう一つ別の風景が見えてくる。北朝鮮だけが一方的に核を放棄するのではなく、「行動対行動」、つまり、たとえば休戦状態で向き合う米国との間で平和共存が担保され、国交正常化のための措置がとられる▽日本との間でも国交正常化のための措置がとられる――といった条件のもとで初めて北朝鮮は核を放棄できる、ということになるのである。

北朝鮮は日米などの「行動」に疑念と不信を抱いたまま核開発を進めていったのである。

実際、米国や日本にどこまでこの約束を履行する準備と覚悟ができていたのか。この点、安倍首相が国連演説で触れた20072月の「共同声明実施に向けた初期段階の措置」(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/6kaigo5_3ks.html)に伴う北朝鮮への重油提供についてみても対応が十分だったとはいえない。

この問題について当時、日本は「日本人拉致問題に前進がなければエネルギー供与に参加できない」という立場をとり、他の参加国から浮き上がるかたちになってしまう局面があったのも事実である。

■「脅し」/「無視」
安倍首相の国連演説からは、国際社会はこの間一貫して北朝鮮への対話努力を続けてきたかのような印象も受けるが、決してそうではなかった。

とくにブッシュ(子)政権時代の初期、米国はイラク、イランと並べて北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しするなかで2003年、イラク戦争を強行。「次は…」とおびえる北朝鮮は「自衛のための核兵器開発」を公言し、核実験に突き進んでいったのである。

続くオバマ政権も「戦略的忍耐」の名のもとにその実、北朝鮮を無視するかたちで核放棄を迫ったが、逆に、核・ミサイル開発を急がせる結果に終わってしまったのだった。

■安保理決議は「6者協議支持」
さて、いま日本は解散総選挙。自民党は102日、選挙公約を発表したが、そこでも「北朝鮮に対する国際社会による圧力強化の主導」をうたい上げた。安倍演説といい、自民の選挙公約といい、その「圧力強化」主張は勇ましいが、これは国際社会でも突出している。

安倍首相の国連演説は「すべての加盟国による一連の安保理決議の厳格かつ全面的な履行」を訴えたが、その実、安保理決議自体、決して圧力一辺倒というわけではない。

たとえば、その6回目の核実験を受けた911日の決議。ここでは石油輸出に上限を設けるなど厳しい制裁内容を盛り込む一方で6者協議への支持を再確認し、「20059月の共同声明で表明された公約への支持を改めて表明する」(安保理決議237528.)としていたのである。

「米国と同盟国を守らなければならないとき、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」(トランプ大統領)、「(トランプ大統領が)最悪の宣戦布告をした以上、それに相応する史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」(金正恩委員長)。この両国トップの応酬が端的に物語るように、米朝対立は極限に達している。

そんなところへ安倍首相は「さらなる圧力を」と叫び、「国難突破解散」だとあおっているのである。

■対話による平和的解決を
「革命的首領観」。そんな独特、異形の体制の殻にこもる北朝鮮を相手にするのは容易ではない。「圧力の強化」だけで核を手放すとは考えにくい。それは「国体護持」をすべてに優先させた戦前日本の体験に照らしても分かろうというものだ。実際この間、北朝鮮は圧力が強まるほどに反発を強め、核への執着を強めてきたのである。

安倍首相の、対話の努力はすべて尽くしたかのような言いぶりが一面的なものであることは見たとおりである。第一、安倍首相自身、北朝鮮の核問題解決へどれほどの対話努力をしてきたというのか。ただ米国に追従してきただけではなかったのか。

これは遠い世界のことではない。まさに日本の平和と安全に直接かかわる問題である。国民を本心から守ろうというなら、ただ危機をあおるのではなく、いまこそ対話による平和解決に外交努力を集中させなければならない。Jアラートを鳴らし、子らに避難訓練を強いることで目先をくらませてはならない。

この局面を選挙に利用しようとすることなど、もってのほかだ。

2017年8月16日水曜日

「韓国の国益が最優先であり、正義だ」/文在寅大統領の光復節演説全訳

韓国が日本の植民地支配からの解放を祝う815日の「光復節」の記念式典でおこなった文在寅大統領の慶祝演説は大統領の民族、国家、歴史観や対日意識を色濃く映しだすものとなった。内容は興味深く、味わい深い。熟読を兼ねて全訳(仮訳)をしてみた。青瓦台HPのテキストを利用した。中見出しは訳者が付けた。

http://www1.president.go.kr/news/speech.php?srh%5Bview_mode%5D=detail&srh%5Bseq%5D=1000

■「キャンドル革命」は建国理念の実践
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
キャンドル革命で国民主権の時代が開かれて初めて迎える光復節です。今日、この日にはとりわけ意義深いものがあります。
写真はいずれも青瓦台HPより

国民主権――これはいま、この時代を生きる私たちが初めて用いる言葉ではありません。100年前の19177月、独立運動家14人が上海で発表した「大同団結宣言」は、独立運動の理念として国民主権を闡明しました。

そこでは「庚戌国恥」[訳注:韓国併合条約が結ばれた1910829日のことを指す]は国権を喪失した日ではなく、むしろ、国民主権が生じた日であると宣言し、国民主権に立脚した臨時政府の樹立を提唱していました。そして19193月、理念、階級、地域を超越して展開された全民族的な抗日独立運動(「31運動」)を経て、この宣言は大韓民国臨時政府樹立の基盤になっていったのでした。

国民主権は臨時政府の樹立を経て大韓民国建国の理念となり、私たちは今日、その精神を受け継いでいます。国民が主人となる国を建てようという、そんな先代らの念願は100年の歳月を継いで、ついにキャンドルを持った国民の実践となったのです。

光復は与えられたものではありませんでした。名前の3文字を含めすべてを奪われても、独立の熱望を守りきった3千万民族が取り返したものなのです。民族の自主独立に生命を捧げた先烈は言うまでもありません。独立運動で出ていく息子のために服を繕った母も、日帝の目を盗んで夜学で母国語を教えた先生も、私たちの伝統にしたがって小遣い銭を出して支援した人たちも、みんな光復の主人公です。

光復は抗日義兵から光復軍まで愛国烈士たちの犠牲と献身が流した血の対価でした。そこには職業も性別も年齢もありませんでした。義烈団員であり、モンゴルの天然病を根絶した医師李泰俊先生、「間島惨変」を取材中に失踪した東亜日報記者張徳俊先生、武装独立団体「西路軍政署」で活躍した独立軍の母である南慈賢女史、科学で民族の力を育てようとした科学者金容瓘先生、独立軍決死隊員だった映画監督の雲奎先生――私たちにはあまりにも多くの独立運動家たちがいました。

独立運動の舞台も朝鮮半島だけではありませんでした。191931日、沿海州や満州、米州、そしてアジアの各地で一斉に大韓独立の喊声が広がりました。

抗日独立運動のこのすべての輝かしいシーンの数々が昨冬、全国津々浦々で、そしてわが同胞たちのいる世界各所で、キャンドルによって甦りました。わが国民が高く掲げたキャンドルの炎は独立運動の継承です。

偉大な独立運動の精神は民主化と経済発展で甦り、今日の大韓民国をつくりました。その過程で犠牲になり、汗を流したすべての方々、その一人ひとりが今日のこの国を建国した貢献者たちです。

きょう、私は独立有功者と遺家族のみなさん、そしてそれぞれに抗日の暗黒の時代を生き抜いたすべての方々、また、キャンドルの新しい時代を開いてくださった国民のみなさんに、いまいちど深い敬意と感謝のことばを申し上げます。

■独立運動家は孫の代まで礼遇
併せて、私は今日、私たちが記念するこの日が、民族と国家が直面した困難と危機に立ち向かう勇気と知恵を反芻する日となるよう望みます。

尊敬する独立有功者と遺家族のみなさん。
慶尚北道安東に臨清閣という由緒ある家屋があります。日本の植民地支配時期、全家産を処分し、満州に亡命して新興武官学校を建て武装独立運動の土台をつくった石洲・李相龍先生の本家です。実に、9人もの独立闘士を輩出した独立運動の産室であり、大韓民国のノブレス・オブリ―ジ(noblesse oblige)を象徴する空間です。

これに対する報復として日本はその家を貫くかたちで鉄道を敷設しました。99間もの大邸宅だった臨清閣はいまも半分に裂かれたままの姿を見せています。李相龍先生の孫たちは解放後、大韓民国で孤児院暮らしもしました。臨清閣のこの姿こそ、まさに私たちがかえりみなければならない大韓民国の現実です。日帝と親日の残滓をまともに清算できず、民族の精気を正しく打ち建てることができませんでした。

歴史を忘れれば、根本を見失います。独立運動家たちをもうこれ以上忘れられた英雄にしておいてはなりません。ただ名誉だけというレベルにとどめておいてはいけません。

独立運動をすれば3代が滅ぶといわれてきましたが、そういうことがあってはなりません。親日に加担した者と独立運動家の境遇が解放後も変わるところがなかった、という体験が不義を正当化する歪んだ価値観を生み出しました。

独立運動家に対する国家の姿勢を完全に改めます。最高の尊敬と礼儀で報います。独立運動家は3代にわたって礼遇し、子息と孫全員の生活安定を支援し、国家に献身すれば3代にわたってよく処遇されるという認識を定着させます。

独立運動の功績を子孫たちに記憶させるために臨時政府記念館を建立します。臨清閣のような、独立運動を記憶に残せる遺跡地はすべて探し出します。忘れられた独立運動家をすべて発掘し、海外の独立運動遺跡地を保存します。

これを機会に政府は大韓民国の功勲の枠組みを完全に改めたいと思います。大韓民国は、国名を守り、国を取り戻し、国の呼びかけに自ら進んで応じた方々の犠牲と献身の上に建っています。そうした犠牲と献身にきちんと応える国をつくります。

若き日を国に捧げ、いまはもう高齢になられた独立有功者と参戦有功者に対する礼遇を強化します。生きておられる間、独立有功者と参戦有功者の治療は国家で責任を負います。参戦名誉手当も引き上げます。

有功者のお年寄りの最後の一人に至るまで、大韓民国の胸が温かく栄光あるものだったと思えるようにします。殉職した軍人、警察官、消防公務員の遺家族に対する支援も拡大します。それが私たちみんなの自負心になるものと信じます。

功勲によって大韓民国のアイデンティティを明確に確立します。愛国の出発点が功勲となるようにします。

■南北共同で強制動員の被害調査
尊敬する国民のみなさん、
過去の歴史において国家が国民を守ってやれず国民が甘受しなければならなかった苦痛にも向き合わなければなりません。

光復70年が過ぎるまで日本の植民地期の強制動員の苦痛が続いています。この間、強制動員の実情が部分的に明らかになったものの、被害規模がすべて分かったということではありません。明らかになった部分はそれとして解決し、不十分なところは政府と民間が協力して、すべて解決しなければなりません。こんご、南北関係が改善されれば、南北共同で強制動員の被害実態の調査をすることも検討します。

解放後も故国に帰られなかった同胞が多くいます。在日同胞の場合、国籍を問わず人道主義の次元で故郷訪問を正常化します。いまなお、シベリアやサハリンなどあちこちに強制移住と動員の傷跡が残っています。そうした方々とも同胞の情をいっしょに分け合います。

尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
今日、光復節を迎え、朝鮮半島をめぐる軍事的緊張の高まりが私たちの心を重くしています。

分断は、冷戦という時代状況のなかで生じたものですが、私たちの力で自らの運命を決めことができなかった植民地時代がのこした不幸な遺産でもあります。しかし今、私たちは私たちの運命を自ら決めることができるほどに国力が大きくなりました。朝鮮半島の平和も分断の克服も私たちが成していかなければなりません。

今日、朝鮮半島の時代的召命は言うまでもなく平和です。朝鮮半島の平和定着を通した分断克服こそが光復を真に完成する道です。

平和はまた、当面の私たちの生存戦略です。安保も経済も、成長も繁栄も、平和なしには未来を担保できません。平和は私たちだけの問題ではありません。朝鮮半島に平和がなければ、東北アジアに平和はなく、東北アジアに平和がなければ、世界平和は台無しです。

いま世界は恐怖の中にあって明らかな真実を目撃しています。いま、私たちが進むべき道は明らかです。世界といっしょに朝鮮半島と東北アジアの恒久的平和体制の構築に向けて大長征を始めることです。

■朝鮮半島の問題は韓国主導で解決
いま、当面する最大の挑戦は北朝鮮の核とミサイルです。政府は現在の安保状況を非常に厳しいものと認識しています。政府は堅固な韓米同盟を基盤に米国と緊密に協力して安保危機を打開していきます。しかし、私たちの安保を同盟国に頼るだではいけません。朝鮮半島の問題は私たちが主導して解決しなければなりません。

政府の原則は確固としています。大韓民国の国益が最優先であり、正義です。朝鮮半島で再び戦争を起こしてはなりません。朝鮮半島における軍事行動は大韓民国だけが決定でき、だれも大韓民国の同意なしに軍事行動を決定できません。政府はすべてをかけ、戦争だけは防ぎます。どんな紆余曲折を経ようとも北の核問題は必ず平和的に解決しなければなりません。この点において韓国と米国政府の立場に違いはありません。

政府は国際社会において平和的解決の原則が揺るがないよう外交努力をいっそう強化していきます。国防力を背にした強固な平和に向けてわが軍をより強く、頼もしく革新して強い防衛力を構築していきます。一方で、南北間の軍事的緊張状況がいま以上に悪くならないよう軍事的対話のドアも開いておきます。

北朝鮮に対する制裁と対話はどちらが後先という問題ではありません。北の核問題の歴史は制裁と対話がいしょに進むとき、問題解決の端緒が開かれたことを示してくれています。

北朝鮮がミサイルの発射実験を猶予したり、核実験の中断を明らかにしたりした時期は例外なく、南北関係が良好な時期だったということを記憶しておかなければなりません。そのような時は米朝、日朝間の対話も進み、東北アジアの多者間外交も活発でした。私が機会のあるごとに朝鮮半島問題の主人は私たちであると言ってきた理由もここにあります。

北の核問題解決は核凍結から始められるべきです。少なくとも北がさらなる核とミサイルによる挑発をやめてこそ、対話の条件が整い得ます。北に対する強い制裁と圧迫の目的も北を対話に引き出すためのものであって、軍事的緊張を高めるためのものではありません。この点でも、韓国と米国政府の立場に違いはありません。

北朝鮮当局に促したいと思います。国際的な協力と共生なしに経済発展の達成は不可能です。このまま行けば、北朝鮮には国際的な孤立と暗い未来があるだけです。多くの住民の生存と朝鮮半島全体を苦境に陥れることになります。

私たちもやはり、望みはしないながらも北に対する制裁と圧迫をさらに強めていかざるを得ません。即刻、挑発をやめ、対話の場に出て核がなくても北が安保について心配せずに済む状況をつくるべきです。私たちが支援し、そのようにしていきます。米国と周辺諸国も助けることでしょう。

いま一度明らかにしておきます。私たちは北朝鮮の崩壊を望みません。吸収統一や人為的統一を追求したりもしないでしょう。統一は民族共同体のすべての構成員が合意する「平和的、民主的」なやり方でなされねばなりません。北が既存の南北合意の相互履行を約束するなら、私たちは政府がかわっても対北政策が変わらないよう国会の議決をへてその合意を制度化するでしょう。

■経済協力で南北共同の繁栄を
私はずっと前から「朝鮮半島の新経済地図」構想を明らかにしてきています。南北間の経済協力と東北アジアの経済協力は南北共同の繁栄をもたらし、軍事的対立を緩和するでしょう。経済協力の過程で北は核兵器を持たなくとも自身の安保が保障されるという事実に自然と気づくことでしょう。

易しいことから始めることをいま一度、北に提案します。離散家族問題のような人道的な協力を一日も早く再開すべきです。この方たちの恨(ハン)を解いてあげる時間はいくらも残っていません。離散家族の再会と故郷訪問、墓参りに早急に応じるよう求めます。

近づく平昌冬季五輪も南北が平和の道へ一歩進むことのできる良い機会です。平昌五輪を平和の五輪にしなければなりません。これを南北対話の機会とし、朝鮮半島平和の枠組みをつくらなければなりません。

東北アジア地域で連続して開かれる2018年の平昌冬季五輪、2020年の東京夏季五輪、2022年の北京冬季五輪は朝鮮半島とともに東北アジアの平和と経済協力を促進できる絶好の機会です。私は東北アジアの全指導者に、このチャンスを生かすために頭を突き合わせることを提案します。

とくに韓国と中国、日本は域内の安保と経済協力を制度化しながら共同の責任を分け合う努力をいっしょにしていくべきでしょう。国民のみなさんにも意を同じくしていただけるよう、お願いします。

■未来重視でも歴史に蓋はできない
尊敬する国民のみなさん、
毎年、光復節になると私たちは韓日関係を顧みざるを得ません。韓日関係もいまや2国間関係を超えて東北アジアの平和と繁栄のために共に協力し合う関係に発展していくべきでしょう。過去の出来事や歴史問題が韓日関係の未来志向的な発展に対して足を引っ張り続けることは望ましくありません。

政府は新しい韓日関係の発展のためにシャトル外交を含む多様な交流を広げていきます。当面する北の核とミサイルの脅威への共同対応のためにも両国間の協力を強化せざるを得ません。しかし私たちが韓日関係の未来を重視するからといって歴史問題に蓋をしてやり過ごすことはできません。むしろ、歴史問題をきちんと決着させるとき、両国間の信頼はより深まることでしょう。

この間、日本の多くの政治家と知識人たちが両国間関係と日本の責任を直視しようとする努力をしてきました。その努力が韓日関係の未来志向的な発展に寄与してきました。そのような歴史認識が日本国内の政治状況によって変わらないようにすべきです。韓日関係の障害は過去の出来事それ自体ではなく、歴史問題に対する日本政府の認識如何によるからです。

日本軍慰安婦や強制徴用など韓日間の歴史問題の解決に関しては人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則があります。韓国政府はこの原則を必ず守ることでしょう。日本の指導者らの勇気ある姿勢が必要です。

2年後の建国100周年に向けて
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
2年後の2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100周年を迎える年です。来年の815日は政府樹立70周年でもあります。

私たちにとって真の光復とは、外国勢力によって分断された民族が一つになる道に進むことです。私たちにとっての真の功勲とは先烈たちが建国の理念とした国民主権を実現して国民が主人となる国らしい国をつくることです。

今から準備にかかりましょう。その過程で癒しと和解、統合に向けて過去1世紀の歴史を決算することも可能でしょう。国民主権の巨大な流れの前にあって保守、進歩の区分が無意味だったように韓国の近現代史において産業化と民主化を2つの勢力として分けるやり方もいまや乗り越えなければなりません。

私たちは誰もが歴史の遺産の中で生きています。すべての歴史には光と影があるものであり、この点、個人の生のなかに入り込んできた時代を産業化と民主化に分けることは可能でもなく意味のないことです。大韓民国の第19代大統領文在寅もやはり、金大中、盧武鉉だけでなく、李承晩、朴正煕から続く大韓民国のすべての大統領の歴史のなかにいます。

私は韓国社会の癒しと和解、統合を願う気持ちを込めて先の顕忠日の追悼の辞で愛国の価値を申し上げました。いまは、過去100年の歴史を決算し、新しい100年に向けた共同体の価値を再定立することを始めなければなりません。

政府の新しい政策基調もそこにあわせています。保守や進歩、あるいは各党派の視座を超えて新しい100年の準備にみんながいっしょに加わってくださることを願わずにはいられません。

尊敬する国民のみなさん、
今日、私たちはいっしょに宣言しましょう。私たちの前には多くの挑戦が押し寄せているが、新しい変化に適応し、乗り切っていくことにおいては私たち大韓民国国民が世界最高だと堂々と叫びましょう。大胆に、自信を持って新しい挑戦を迎えましょう。いつでもそうであったように大韓民国の名で一つになり、勝ち抜きましょう。国民のための国家、正義に反しない大韓民国を完成させましょう。いまいちど、私たちの底力を確認しましょう。

国のために自らのすべてを捧げた独立有功者の方々に深い尊敬の念を捧げます。いつまでも健康であられんことをお願いします。ありがとうございます。
                   2017815日 大韓民国大統領 文在寅
                                             
                                              (波佐場 清