2017年10月4日水曜日

安倍首相は北朝鮮と対話をすべきだ

「対話の努力は時間稼ぎに利用された。今後ともあらゆる手段による圧力を最大限まで高めていく他に道はない」

929日の衆院解散表明で、安倍晋三首相はこう述べた。


遊説でも「圧力」を強調しているようだ。

しかし、それでいいのか。圧力を最大限に高めた、その先に何があるというのか。北朝鮮はそれで「降参」し、核を放棄するというのか。戦争にならないという保証はあるのか。何よりも首相自身、この間どれほど「対話の努力」をしてきたというのか。

■国連総会でも「圧力」強調
安倍首相は920日、国連総会一般討論演説でも同じように「対話より圧力を」と訴えた。
国連総会で演説する安倍首相=官邸HPより
次のような内容だった。
(官邸HP http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0920enzetsu.html

「国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は(米朝)枠組み合意、次には六者会合(6者協議)によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けた。しかし我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は核、ミサイルの開発をあきらめるつもりなど、まるで持ち合わせていなかったということだ。対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」

結果、核兵器がなく、弾道ミサイル技術も成熟に程遠かった北朝鮮がいまや水爆とICBMを手に入れようとしているとし、次のように断じた。

「対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算あって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか」

■信頼欠いた「約束」
確かに、北朝鮮は国際社会の目を逃れて核開発を進めてきた。対話を「時間稼ぎ」に利用した面もなかったとはいえない。しかし、一方で日米韓などによる対話努力が十分尽くされたとは言えないのも事実だ。

安倍首相が国連演説で挙げた2つの対話例のうち、まず1994年の「枠組み合意」を見たい。
これは、北朝鮮が黒鉛減速炉や関連施設を凍結する代わりに米国が軽水炉建設の支援や代替エネルギーの提供を行うなどとしたもので、安倍首相はこう指摘した。

「日米韓は(枠組み合意の)翌年3月、KEDOをこしらえる。これを実施主体として北朝鮮に軽水炉2基をつくって渡し、エネルギー需要のつなぎに年間50万トンの重油を与える約束をした。これは順次、実行されたが、時を経るうち、北朝鮮はウラン濃縮を着々と続けていたことが分かった」
 
この期間、北朝鮮は「ウラン濃縮を着々と続けていた」と断定できるのか。実際のところ、米国は200210月、北朝鮮側が訪朝した米高官に「高濃縮ウラン施設建設」などを認めたと発表したが、確証は示されなかった。その後、北朝鮮は099月になって国連大使が「ウラン濃縮実験成功」を表明。確認できたのは翌2010年、現地を訪れたヘッカー米スタンフォード大学教授らによってであった。
 
ともあれ、北朝鮮側だけが合意に背いた、とする見方は一面的に過ぎる。北朝鮮への軽水炉提供は2003年までの完成を約束しながら工事は大幅に遅れていたのである。

合意ができたのは金日成主席死去のすぐあと。当時、日米韓では北朝鮮の崩壊論がまことしやかに語られていた。米政府も「そのうちに崩壊する」と見込み、初めから本気で取り組んでいなかったとの証言が関係者から出ている。米朝間に信頼関係が築けていなかったのである。

■「行動対行動」
次に、2003年に始まり、059月に共同声明を出した「6者協議」。安倍首相はこれについて、こう説明した。

「(共同声明で)北朝鮮はすべての核兵器、既存の核計画を放棄することと、NPTIAEAの保障措置に復帰することを約束した。さらに20072月、共同声明の実施に向け、6者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまる。北朝鮮に入ったIAEAの査察団は、寧辺にあった核関連施設の閉鎖を確認、見返りとして北朝鮮は重油を受け取るに至った」

それなのに、そんな6者協議のかたわらで北朝鮮は20052月、核保有を宣言し、翌0610月、第1回の核実験を公然と実施した、と安倍首相は言う。

しかし、これもやはり一面的と言わざるを得ない。6者協議の共同声明はなにも北朝鮮に対してだけ核の放棄などを求めていたわけではなかった。そこには例えば、次のような内容も盛り込まれていた。

▽米国は北朝鮮に対して核兵器または通常兵器による攻撃または侵略を行う意図を有しないことを確認した。
▽北朝鮮と米国は相互の主権尊重、平和的共存およびそれぞれの政策に従って国交を正常化するための措置をとる。
▽北朝鮮と日本は平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として国交正常化のための措置をとる。

そして、6者はこれらを「約束対約束、行動対行動」の原則に従って段階的に実施していくために調整された措置をとることで合意したとしていたのである。
(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html

■「国交正常化のための措置」も約束
つまり、これを北朝鮮側から見るとき、もう一つ別の風景が見えてくる。北朝鮮だけが一方的に核を放棄するのではなく、「行動対行動」、つまり、たとえば休戦状態で向き合う米国との間で平和共存が担保され、国交正常化のための措置がとられる▽日本との間でも国交正常化のための措置がとられる――といった条件のもとで初めて北朝鮮は核を放棄できる、ということになるのである。

北朝鮮は日米などの「行動」に疑念と不信を抱いたまま核開発を進めていったのである。

実際、米国や日本にどこまでこの約束を履行する準備と覚悟ができていたのか。この点、安倍首相が国連演説で触れた20072月の「共同声明実施に向けた初期段階の措置」(外務省HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/6kaigo5_3ks.html)に伴う北朝鮮への重油提供についてみても対応が十分だったとはいえない。

この問題について当時、日本は「日本人拉致問題に前進がなければエネルギー供与に参加できない」という立場をとり、他の参加国から浮き上がるかたちになってしまう局面があったのも事実である。

■「脅し」/「無視」
安倍首相の国連演説からは、国際社会はこの間一貫して北朝鮮への対話努力を続けてきたかのような印象も受けるが、決してそうではなかった。

とくにブッシュ(子)政権時代の初期、米国はイラク、イランと並べて北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しするなかで2003年、イラク戦争を強行。「次は…」とおびえる北朝鮮は「自衛のための核兵器開発」を公言し、核実験に突き進んでいったのである。

続くオバマ政権も「戦略的忍耐」の名のもとにその実、北朝鮮を無視するかたちで核放棄を迫ったが、逆に、核・ミサイル開発を急がせる結果に終わってしまったのだった。

■安保理決議は「6者協議支持」
さて、いま日本は解散総選挙。自民党は102日、選挙公約を発表したが、そこでも「北朝鮮に対する国際社会による圧力強化の主導」をうたい上げた。安倍演説といい、自民の選挙公約といい、その「圧力強化」主張は勇ましいが、これは国際社会でも突出している。

安倍首相の国連演説は「すべての加盟国による一連の安保理決議の厳格かつ全面的な履行」を訴えたが、その実、安保理決議自体、決して圧力一辺倒というわけではない。

たとえば、その6回目の核実験を受けた911日の決議。ここでは石油輸出に上限を設けるなど厳しい制裁内容を盛り込む一方で6者協議への支持を再確認し、「20059月の共同声明で表明された公約への支持を改めて表明する」(安保理決議237528.)としていたのである。

「米国と同盟国を守らなければならないとき、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」(トランプ大統領)、「(トランプ大統領が)最悪の宣戦布告をした以上、それに相応する史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」(金正恩委員長)。この両国トップの応酬が端的に物語るように、米朝対立は極限に達している。

そんなところへ安倍首相は「さらなる圧力を」と叫び、「国難突破解散」だとあおっているのである。

■対話による平和的解決を
「革命的首領観」。そんな独特、異形の体制の殻にこもる北朝鮮を相手にするのは容易ではない。「圧力の強化」だけで核を手放すとは考えにくい。それは「国体護持」をすべてに優先させた戦前日本の体験に照らしても分かろうというものだ。実際この間、北朝鮮は圧力が強まるほどに反発を強め、核への執着を強めてきたのである。

安倍首相の、対話の努力はすべて尽くしたかのような言いぶりが一面的なものであることは見たとおりである。第一、安倍首相自身、北朝鮮の核問題解決へどれほどの対話努力をしてきたというのか。ただ米国に追従してきただけではなかったのか。

これは遠い世界のことではない。まさに日本の平和と安全に直接かかわる問題である。国民を本心から守ろうというなら、ただ危機をあおるのではなく、いまこそ対話による平和解決に外交努力を集中させなければならない。Jアラートを鳴らし、子らに避難訓練を強いることで目先をくらませてはならない。

この局面を選挙に利用しようとすることなど、もってのほかだ。

2017年8月16日水曜日

「韓国の国益が最優先であり、正義だ」/文在寅大統領の光復節演説全訳

韓国が日本の植民地支配からの解放を祝う815日の「光復節」の記念式典でおこなった文在寅大統領の慶祝演説は大統領の民族、国家、歴史観や対日意識を色濃く映しだすものとなった。内容は興味深く、味わい深い。熟読を兼ねて全訳(仮訳)をしてみた。青瓦台HPのテキストを利用した。中見出しは訳者が付けた。

http://www1.president.go.kr/news/speech.php?srh%5Bview_mode%5D=detail&srh%5Bseq%5D=1000

■「キャンドル革命」は建国理念の実践
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
キャンドル革命で国民主権の時代が開かれて初めて迎える光復節です。今日、この日にはとりわけ意義深いものがあります。
写真はいずれも青瓦台HPより

国民主権――これはいま、この時代を生きる私たちが初めて用いる言葉ではありません。100年前の19177月、独立運動家14人が上海で発表した「大同団結宣言」は、独立運動の理念として国民主権を闡明しました。

そこでは「庚戌国恥」[訳注:韓国併合条約が結ばれた1910829日のことを指す]は国権を喪失した日ではなく、むしろ、国民主権が生じた日であると宣言し、国民主権に立脚した臨時政府の樹立を提唱していました。そして19193月、理念、階級、地域を超越して展開された全民族的な抗日独立運動(「31運動」)を経て、この宣言は大韓民国臨時政府樹立の基盤になっていったのでした。

国民主権は臨時政府の樹立を経て大韓民国建国の理念となり、私たちは今日、その精神を受け継いでいます。国民が主人となる国を建てようという、そんな先代らの念願は100年の歳月を継いで、ついにキャンドルを持った国民の実践となったのです。

光復は与えられたものではありませんでした。名前の3文字を含めすべてを奪われても、独立の熱望を守りきった3千万民族が取り返したものなのです。民族の自主独立に生命を捧げた先烈は言うまでもありません。独立運動で出ていく息子のために服を繕った母も、日帝の目を盗んで夜学で母国語を教えた先生も、私たちの伝統にしたがって小遣い銭を出して支援した人たちも、みんな光復の主人公です。

光復は抗日義兵から光復軍まで愛国烈士たちの犠牲と献身が流した血の対価でした。そこには職業も性別も年齢もありませんでした。義烈団員であり、モンゴルの天然病を根絶した医師李泰俊先生、「間島惨変」を取材中に失踪した東亜日報記者張徳俊先生、武装独立団体「西路軍政署」で活躍した独立軍の母である南慈賢女史、科学で民族の力を育てようとした科学者金容瓘先生、独立軍決死隊員だった映画監督の雲奎先生――私たちにはあまりにも多くの独立運動家たちがいました。

独立運動の舞台も朝鮮半島だけではありませんでした。191931日、沿海州や満州、米州、そしてアジアの各地で一斉に大韓独立の喊声が広がりました。

抗日独立運動のこのすべての輝かしいシーンの数々が昨冬、全国津々浦々で、そしてわが同胞たちのいる世界各所で、キャンドルによって甦りました。わが国民が高く掲げたキャンドルの炎は独立運動の継承です。

偉大な独立運動の精神は民主化と経済発展で甦り、今日の大韓民国をつくりました。その過程で犠牲になり、汗を流したすべての方々、その一人ひとりが今日のこの国を建国した貢献者たちです。

きょう、私は独立有功者と遺家族のみなさん、そしてそれぞれに抗日の暗黒の時代を生き抜いたすべての方々、また、キャンドルの新しい時代を開いてくださった国民のみなさんに、いまいちど深い敬意と感謝のことばを申し上げます。

■独立運動家は孫の代まで礼遇
併せて、私は今日、私たちが記念するこの日が、民族と国家が直面した困難と危機に立ち向かう勇気と知恵を反芻する日となるよう望みます。

尊敬する独立有功者と遺家族のみなさん。
慶尚北道安東に臨清閣という由緒ある家屋があります。日本の植民地支配時期、全家産を処分し、満州に亡命して新興武官学校を建て武装独立運動の土台をつくった石洲・李相龍先生の本家です。実に、9人もの独立闘士を輩出した独立運動の産室であり、大韓民国のノブレス・オブリ―ジ(noblesse oblige)を象徴する空間です。

これに対する報復として日本はその家を貫くかたちで鉄道を敷設しました。99間もの大邸宅だった臨清閣はいまも半分に裂かれたままの姿を見せています。李相龍先生の孫たちは解放後、大韓民国で孤児院暮らしもしました。臨清閣のこの姿こそ、まさに私たちがかえりみなければならない大韓民国の現実です。日帝と親日の残滓をまともに清算できず、民族の精気を正しく打ち建てることができませんでした。

歴史を忘れれば、根本を見失います。独立運動家たちをもうこれ以上忘れられた英雄にしておいてはなりません。ただ名誉だけというレベルにとどめておいてはいけません。

独立運動をすれば3代が滅ぶといわれてきましたが、そういうことがあってはなりません。親日に加担した者と独立運動家の境遇が解放後も変わるところがなかった、という体験が不義を正当化する歪んだ価値観を生み出しました。

独立運動家に対する国家の姿勢を完全に改めます。最高の尊敬と礼儀で報います。独立運動家は3代にわたって礼遇し、子息と孫全員の生活安定を支援し、国家に献身すれば3代にわたってよく処遇されるという認識を定着させます。

独立運動の功績を子孫たちに記憶させるために臨時政府記念館を建立します。臨清閣のような、独立運動を記憶に残せる遺跡地はすべて探し出します。忘れられた独立運動家をすべて発掘し、海外の独立運動遺跡地を保存します。

これを機会に政府は大韓民国の功勲の枠組みを完全に改めたいと思います。大韓民国は、国名を守り、国を取り戻し、国の呼びかけに自ら進んで応じた方々の犠牲と献身の上に建っています。そうした犠牲と献身にきちんと応える国をつくります。

若き日を国に捧げ、いまはもう高齢になられた独立有功者と参戦有功者に対する礼遇を強化します。生きておられる間、独立有功者と参戦有功者の治療は国家で責任を負います。参戦名誉手当も引き上げます。

有功者のお年寄りの最後の一人に至るまで、大韓民国の胸が温かく栄光あるものだったと思えるようにします。殉職した軍人、警察官、消防公務員の遺家族に対する支援も拡大します。それが私たちみんなの自負心になるものと信じます。

功勲によって大韓民国のアイデンティティを明確に確立します。愛国の出発点が功勲となるようにします。

■南北共同で強制動員の被害調査
尊敬する国民のみなさん、
過去の歴史において国家が国民を守ってやれず国民が甘受しなければならなかった苦痛にも向き合わなければなりません。

光復70年が過ぎるまで日本の植民地期の強制動員の苦痛が続いています。この間、強制動員の実情が部分的に明らかになったものの、被害規模がすべて分かったということではありません。明らかになった部分はそれとして解決し、不十分なところは政府と民間が協力して、すべて解決しなければなりません。こんご、南北関係が改善されれば、南北共同で強制動員の被害実態の調査をすることも検討します。

解放後も故国に帰られなかった同胞が多くいます。在日同胞の場合、国籍を問わず人道主義の次元で故郷訪問を正常化します。いまなお、シベリアやサハリンなどあちこちに強制移住と動員の傷跡が残っています。そうした方々とも同胞の情をいっしょに分け合います。

尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
今日、光復節を迎え、朝鮮半島をめぐる軍事的緊張の高まりが私たちの心を重くしています。

分断は、冷戦という時代状況のなかで生じたものですが、私たちの力で自らの運命を決めことができなかった植民地時代がのこした不幸な遺産でもあります。しかし今、私たちは私たちの運命を自ら決めることができるほどに国力が大きくなりました。朝鮮半島の平和も分断の克服も私たちが成していかなければなりません。

今日、朝鮮半島の時代的召命は言うまでもなく平和です。朝鮮半島の平和定着を通した分断克服こそが光復を真に完成する道です。

平和はまた、当面の私たちの生存戦略です。安保も経済も、成長も繁栄も、平和なしには未来を担保できません。平和は私たちだけの問題ではありません。朝鮮半島に平和がなければ、東北アジアに平和はなく、東北アジアに平和がなければ、世界平和は台無しです。

いま世界は恐怖の中にあって明らかな真実を目撃しています。いま、私たちが進むべき道は明らかです。世界といっしょに朝鮮半島と東北アジアの恒久的平和体制の構築に向けて大長征を始めることです。

■朝鮮半島の問題は韓国主導で解決
いま、当面する最大の挑戦は北朝鮮の核とミサイルです。政府は現在の安保状況を非常に厳しいものと認識しています。政府は堅固な韓米同盟を基盤に米国と緊密に協力して安保危機を打開していきます。しかし、私たちの安保を同盟国に頼るだではいけません。朝鮮半島の問題は私たちが主導して解決しなければなりません。

政府の原則は確固としています。大韓民国の国益が最優先であり、正義です。朝鮮半島で再び戦争を起こしてはなりません。朝鮮半島における軍事行動は大韓民国だけが決定でき、だれも大韓民国の同意なしに軍事行動を決定できません。政府はすべてをかけ、戦争だけは防ぎます。どんな紆余曲折を経ようとも北の核問題は必ず平和的に解決しなければなりません。この点において韓国と米国政府の立場に違いはありません。

政府は国際社会において平和的解決の原則が揺るがないよう外交努力をいっそう強化していきます。国防力を背にした強固な平和に向けてわが軍をより強く、頼もしく革新して強い防衛力を構築していきます。一方で、南北間の軍事的緊張状況がいま以上に悪くならないよう軍事的対話のドアも開いておきます。

北朝鮮に対する制裁と対話はどちらが後先という問題ではありません。北の核問題の歴史は制裁と対話がいしょに進むとき、問題解決の端緒が開かれたことを示してくれています。

北朝鮮がミサイルの発射実験を猶予したり、核実験の中断を明らかにしたりした時期は例外なく、南北関係が良好な時期だったということを記憶しておかなければなりません。そのような時は米朝、日朝間の対話も進み、東北アジアの多者間外交も活発でした。私が機会のあるごとに朝鮮半島問題の主人は私たちであると言ってきた理由もここにあります。

北の核問題解決は核凍結から始められるべきです。少なくとも北がさらなる核とミサイルによる挑発をやめてこそ、対話の条件が整い得ます。北に対する強い制裁と圧迫の目的も北を対話に引き出すためのものであって、軍事的緊張を高めるためのものではありません。この点でも、韓国と米国政府の立場に違いはありません。

北朝鮮当局に促したいと思います。国際的な協力と共生なしに経済発展の達成は不可能です。このまま行けば、北朝鮮には国際的な孤立と暗い未来があるだけです。多くの住民の生存と朝鮮半島全体を苦境に陥れることになります。

私たちもやはり、望みはしないながらも北に対する制裁と圧迫をさらに強めていかざるを得ません。即刻、挑発をやめ、対話の場に出て核がなくても北が安保について心配せずに済む状況をつくるべきです。私たちが支援し、そのようにしていきます。米国と周辺諸国も助けることでしょう。

いま一度明らかにしておきます。私たちは北朝鮮の崩壊を望みません。吸収統一や人為的統一を追求したりもしないでしょう。統一は民族共同体のすべての構成員が合意する「平和的、民主的」なやり方でなされねばなりません。北が既存の南北合意の相互履行を約束するなら、私たちは政府がかわっても対北政策が変わらないよう国会の議決をへてその合意を制度化するでしょう。

■経済協力で南北共同の繁栄を
私はずっと前から「朝鮮半島の新経済地図」構想を明らかにしてきています。南北間の経済協力と東北アジアの経済協力は南北共同の繁栄をもたらし、軍事的対立を緩和するでしょう。経済協力の過程で北は核兵器を持たなくとも自身の安保が保障されるという事実に自然と気づくことでしょう。

易しいことから始めることをいま一度、北に提案します。離散家族問題のような人道的な協力を一日も早く再開すべきです。この方たちの恨(ハン)を解いてあげる時間はいくらも残っていません。離散家族の再会と故郷訪問、墓参りに早急に応じるよう求めます。

近づく平昌冬季五輪も南北が平和の道へ一歩進むことのできる良い機会です。平昌五輪を平和の五輪にしなければなりません。これを南北対話の機会とし、朝鮮半島平和の枠組みをつくらなければなりません。

東北アジア地域で連続して開かれる2018年の平昌冬季五輪、2020年の東京夏季五輪、2022年の北京冬季五輪は朝鮮半島とともに東北アジアの平和と経済協力を促進できる絶好の機会です。私は東北アジアの全指導者に、このチャンスを生かすために頭を突き合わせることを提案します。

とくに韓国と中国、日本は域内の安保と経済協力を制度化しながら共同の責任を分け合う努力をいっしょにしていくべきでしょう。国民のみなさんにも意を同じくしていただけるよう、お願いします。

■未来重視でも歴史に蓋はできない
尊敬する国民のみなさん、
毎年、光復節になると私たちは韓日関係を顧みざるを得ません。韓日関係もいまや2国間関係を超えて東北アジアの平和と繁栄のために共に協力し合う関係に発展していくべきでしょう。過去の出来事や歴史問題が韓日関係の未来志向的な発展に対して足を引っ張り続けることは望ましくありません。

政府は新しい韓日関係の発展のためにシャトル外交を含む多様な交流を広げていきます。当面する北の核とミサイルの脅威への共同対応のためにも両国間の協力を強化せざるを得ません。しかし私たちが韓日関係の未来を重視するからといって歴史問題に蓋をしてやり過ごすことはできません。むしろ、歴史問題をきちんと決着させるとき、両国間の信頼はより深まることでしょう。

この間、日本の多くの政治家と知識人たちが両国間関係と日本の責任を直視しようとする努力をしてきました。その努力が韓日関係の未来志向的な発展に寄与してきました。そのような歴史認識が日本国内の政治状況によって変わらないようにすべきです。韓日関係の障害は過去の出来事それ自体ではなく、歴史問題に対する日本政府の認識如何によるからです。

日本軍慰安婦や強制徴用など韓日間の歴史問題の解決に関しては人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則があります。韓国政府はこの原則を必ず守ることでしょう。日本の指導者らの勇気ある姿勢が必要です。

2年後の建国100周年に向けて
尊敬する国民のみなさん、独立有功者と遺家族のみなさん、海外同胞のみなさん、
2年後の2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100周年を迎える年です。来年の815日は政府樹立70周年でもあります。

私たちにとって真の光復とは、外国勢力によって分断された民族が一つになる道に進むことです。私たちにとっての真の功勲とは先烈たちが建国の理念とした国民主権を実現して国民が主人となる国らしい国をつくることです。

今から準備にかかりましょう。その過程で癒しと和解、統合に向けて過去1世紀の歴史を決算することも可能でしょう。国民主権の巨大な流れの前にあって保守、進歩の区分が無意味だったように韓国の近現代史において産業化と民主化を2つの勢力として分けるやり方もいまや乗り越えなければなりません。

私たちは誰もが歴史の遺産の中で生きています。すべての歴史には光と影があるものであり、この点、個人の生のなかに入り込んできた時代を産業化と民主化に分けることは可能でもなく意味のないことです。大韓民国の第19代大統領文在寅もやはり、金大中、盧武鉉だけでなく、李承晩、朴正煕から続く大韓民国のすべての大統領の歴史のなかにいます。

私は韓国社会の癒しと和解、統合を願う気持ちを込めて先の顕忠日の追悼の辞で愛国の価値を申し上げました。いまは、過去100年の歴史を決算し、新しい100年に向けた共同体の価値を再定立することを始めなければなりません。

政府の新しい政策基調もそこにあわせています。保守や進歩、あるいは各党派の視座を超えて新しい100年の準備にみんながいっしょに加わってくださることを願わずにはいられません。

尊敬する国民のみなさん、
今日、私たちはいっしょに宣言しましょう。私たちの前には多くの挑戦が押し寄せているが、新しい変化に適応し、乗り切っていくことにおいては私たち大韓民国国民が世界最高だと堂々と叫びましょう。大胆に、自信を持って新しい挑戦を迎えましょう。いつでもそうであったように大韓民国の名で一つになり、勝ち抜きましょう。国民のための国家、正義に反しない大韓民国を完成させましょう。いまいちど、私たちの底力を確認しましょう。

国のために自らのすべてを捧げた独立有功者の方々に深い尊敬の念を捧げます。いつまでも健康であられんことをお願いします。ありがとうございます。
                   2017815日 大韓民国大統領 文在寅
                                             
                                              (波佐場 清

2017年6月26日月曜日

「太陽政策とドイツの東方政策」/林東源・元統一相講演(下)

金大中大統領の右腕として「太陽政策」を設計、推進した林東源・元統一相が526日に韓国外国語大学歴史文化研究所でおこなった特別講演「太陽政策と東方政策――現在と未来のための省察」の紹介を続けたい。(波佐場 清)

写真は、いずれも今年615日夜、南北首脳会談17周年にあわせて韓国KBSで放送された
KBSスペシャル―遠い記憶 615南北首脳会談のテレビ画面から
 

<イム・ドンウォン>
1933
年平安北道生まれ。韓国陸軍士官学校、ソウル大卒。80年陸軍少将として予備役編入。駐オーストラリア大使。盧泰愚政権下で南北高位級会談代表。金大中政権下で大統領外交安保首席秘書官、統一相、国家情報院長など。著書に『피스메이커Peace-maker)』(중앙books)=日本語訳『南北首脳会談への道 林東源回顧録』(波佐場清訳、岩波書店)など。
 
 

3)南北の和解と協力を推進
20006月、金大中大統領は平壌を訪問して分断後初の南北首脳会談を開き、それを平和と統一への画期的な転機として和解と協力の新しい時代を開いていくことになります。

南北両首脳は真摯な対話を通し、統一は達成しなければならない目標だが、平和的に成さねばならず、漸進的、段階的に進めていく「過程」であるという点で認識を同じくしたのです。

そして、平和と統一への長い過程を南北が共同で推進し管理していくための協力機構として「南北連合」(confederation)構成の必要性について合意します。南と北が互いに行き来し、助け合い、分かち合う、そんな経済、社会、文化的には統一したも同然の「事実上の統一」状況から実現しようというものです。南と北はまず、「経済協力を通して民族経済をバランスよく発展させ、社会、文化、スポーツ、保健、環境など各分野の協力と交流を活性化しながら相互の信頼を固めていく」ことで合意します。

このような共通認識に基づいて「615南北共同宣言」を採択し、南北の交流と協力を本格的に始めます。DMZ(非武装地帯)内の地雷を除去して断たれた鉄道と道路をつなぎ、空路と海路も開きました。分断後初めて人とモノが南北を行き来するようになったのです。

朝鮮半島の東側では金剛山観光団地、西側では南北経済共同体の足掛かりとなる開城工業団地(南側の企業約120社、北側労働者約5万余人)を建設、運営することとなりました。

離散家族が再会し、各分野で人々の往来と出会い(44万人)、交流と協力が推進されました。交易と経済協力も活気を帯び始めました。北に年平均24千万ドル相当の食糧、肥料、医薬品などの人道的支援(韓国民1人当たり5ドル/年)が提供されました。西ドイツが東ドイツに提供した規模(32億ドル/年)に比べると、10分の1にも満たない水準です。

経済、社会、文化、宗教、スポーツ、観光など各分野における人々の出会いと往来、交流と協力が活性化し、当局間の対話だけでなく市民参加の空間が開かれ、互いに相手方についてより多くを知ることができるようになりました。敵対意識が和らぎ、緊張が緩和し、相互信頼が芽生え始めました。民族共同体意識が涵養され、統一は接触と往来、交流と協力を通して現在進行形でつくっていく過程だという認識が広がりはじめました。

半世紀にわたる不信と対決の時代を乗り越えて初めて和解と協力の新しい時代が開かれ始めたのです。行く道は遠く、厳しくはあるが、大きな意味を持つ重要なスタートでした。


エゴン・バール博士は「南北連合」を通じた統一案を高く評価しました。東ドイツで市民革命の直後に統一問題が論議されたとき、西ドイツのヘルムート・コール首相は統一の後遺症を憂えて過渡的段階としての「国家連合」を通した漸進的、段階的な統一案(19891128日)を提示しましたが、東ドイツ市民はすぐに統一する道を選んだのでした。

エゴン・バール博士はまた、ソウルを訪問した際に現地を見ていた開城工団事業を高く評価し、これを拡大発展させて南北経済共同体を形成していこうというのは非常に賢明かつ未来志向的で、平和統一へ向かう正しい道だと絶賛していました。

4)南北関係の閉塞と東方政策の教訓
しかし、過去9年間にわたって南北関係が閉塞し、和解と交流・協力の朝鮮半島平和プロセスは中断してしまいました。
 
米国にブッシュ政権ができて北朝鮮の政権をイラク、イランとともに「悪の枢軸」(axis of evil)といい、軍事的先制攻撃(preemption)で除去(regime change)すべき対象だと宣言し、敵対視政策を推進します。クリントン政権の包容政策と朝鮮半島平和プロセスを全面否定(ABC)し、8年間にわたって北の核活動を凍結してきた米朝の「ジュネーブ枠組み合意」も破棄しました。北朝鮮は体制生き残りのために抑止力を確保するといって本格的な核開発に進むこととなり(20031月)、朝鮮半島の緊張は高まっていったのでした。
 

韓国は保守政権(李明博―朴槿恵政権)となり、北が早期に崩壊するものと誤判し、「吸収統一」に向けて圧迫と制裁の「敵対的対決政策」を推進しました。政権が交替しても東方政策をそのまま20年間にわたって一貫して推進した西ドイツと違って韓国では政権が交替すると和解と協力の太陽政策は否定され、その間に達成した南北間の合意はすべて黙殺されました。

「太陽政策は融和政策だ」「安保態勢を悪化させた」「核兵器開発を招いた」などといった事実を歪曲した批判と反対の声が強まり、平和と和解協力の主唱者たちを「親北左派」と非難する雰囲気がつくり出されたりもしたのでした。

エゴン・バール博士は太陽政策に対する批判と、一部に反対があることについては理解できると言いました。東方政策の場合も初めは野党やメディアの猛攻撃を受け、人気がなかったというのです。ブラント首相とエゴン・バール博士は容共的だという非難も受けたといいます。その点、同族で殺し合う戦争をしてしまい、互いに強い敵対意識を持つ韓国は西ドイツよりもずっと深刻だろうと考えられ、理解できるというのです。

しかし、ヨーロッパではCSCE(欧州安全保障協力機構)のデタントプロセスが進められ、「東方政策は正しい」ということが全ヨーロッパで認められるようになり、西ドイツ国民の支持も高まるなかで状況は変わっていったといいます。東方政策に反対していた保守右派も政権に就いた(1982年)あとは、東方政策を引き継ぎ、積極的に推進していくようになったといいます。

東方政策は単に東ドイツに限った政策ではなく、ソ連をはじめ東欧に対する政策でもありました。東西両陣営に分断されたヨーロッパで、冷戦が厳しいさなかの1969年に政権に就いたブラント首相はヨーロッパに平和の秩序がつくられて初めて、その枠組みの中でドイツの統一も可能になるという信念を持って外交努力を傾けました。

西ドイツはソ連やポーランドなど東欧国家との関係を正常化し、東西両陣営を隔てていた「鉄のカーテン」を取りはらい、平和の秩序づくりに努力しました。

また、ドイツが戦争犯罪国家として犯した過去の過ちを懺悔し、心からの謝罪と誠意ある賠償をおこないました。私たちはブラント首相がワルシャワのユダヤ人ゲットー(居住区)跡の慰霊碑にひざまずいて歴史の責任を認め、謝罪(1970127日)する感動的な1枚の写真のことを記憶しています。

ひざまずいたのはブラント首相1人でしたが、再起したのは全ドイツ人でした。歴史の責任を誠実に受け入れたドイツはヨーロッパの胸に抱かれることとなり、世界の舞台に戻っていくことになったのです。

ブラント首相の東方政策は東西両陣営の35カ国が参加したヘルシンキ協約(1975年)の土台となりました。この協約に基づいてCSCEによる15年間の和解と協力のデタントプロセスが進められ、その中でソ連に改革主義者のゴルバチョフ氏が登場することとなります。

そのゴルバチョフ氏が改革開放政策を推進したことによってソ連と東欧圏に体制転換という大変革が起こり、冷戦体制が揺らいで、ついにはドイツ統一の環境がつくられていったのです。

エゴン・バール博士は「西ドイツの東方政策がなかったなら、ゴルバチョフ氏はソ連の最高指導者になれなかっただろうし、また、ゴルバチョフ氏なしにはドイツの統一も不可能だっただろう」という見方は正しいと語りました。東方政策はドイツの統一だけでなく、ヨーロッパの新しい平和秩序づくりとヨーロッパの統合(EU)を可能にする推進力となったのです。

ヨーロッパと違って東北アジアは地域安保協力機構がない世界で唯一の地域です。北朝鮮の核問題を扱うために米国、中国、ロシア、日本と南北が参加する6者協議が東北アジアの安保協力機構に発展していくことが望ましいが、まだそれが可能なようには見えません。

エゴン・バール博士は「2つのコリアが力を合わせて先導的な役割を果たす必要がある。そして、東北アジア平和共同体のなかでコリア統一を達成していくべきだ」と助言してくれました。そして、それにはまず南北関係の発展が緊要といい、「強者であり、持てる側の韓国の雅量と積極性が重要だ」との助言も忘れませんでした。

5)当面する課題
この間、朝鮮半島を取り巻く戦略的情勢は大きく変化しました。東北アジアは中国の浮上と米国のリバランス政策、日本の再武装で葛藤と緊張がつくり出され、この地域の平和と朝鮮半島の平和に否定的に作用しています。核開発を中断していた北朝鮮は核武装化の段階に達したものと評価されており、それは東北アジアの平和に障害要因として作用しています。

情勢に変化があったとはいえ、私たちの目標と原則は不変です。朝鮮半島の冷戦構造を解体し、交流と協力を通して平和をつくっていかなければならないのです。韓国と米国は北朝鮮との敵対関係を解消し、関係正常化を推進しなければなりません。北朝鮮を変化に導いて朝鮮半島の非核化を達成しなければならず、軍事休戦体制を平和体制に転換しなければなりません。

韓国の新政権は和解と協力の太陽政策をこんにちの現実に合うように継承、発展させてこの9年間の逆行を食い止め、再度、平和と統一に向かって前進しなければなりません。朝鮮半島平和プロセスを再び推進しなければなりません。

朝鮮半島平和プロセスは、米中の協力関係に向けてその土台を提供することができ、東北アジアの平和秩序づくりに貢献することになるでしょう。また、東北アジアの平和秩序づくりは、それを通して朝鮮半島の平和統一が期待できることにもなるでしょう。朝鮮半島の平和なくして東北アジアの平和は保障できません。東北アジアの平和と繁栄を実現するためには朝鮮半島に平和体制を築くことが急務です。

ドイツの統一をうみ出した東方政策を手本にCSCEの経験を教訓として生かし、朝鮮半島平和プロセスを再び始めなければならないのです。

2017年6月24日土曜日

「太陽政策とドイツの東方政策」/林東源・元統一相講演(上)

「金大中大統領の太陽政策を継承し、発展させる」。韓国の文在寅・新大統領はこう明言している。そんな太陽政策を、金大中大統領の右腕として設計、推進した林東源・元統一相は今、この間をどう振り返り、将来をどう展望しているのか。

林東源氏は文在寅大統領就任後の526日、ソウルの韓国外国語大学歴史文化研究所の学術会議で「太陽政策と東方政策――現在と未来のための省察」と題する特別講演をおこない、そのことについて語った。その内容をここに訳出して紹介したい。(波佐場 清)

イム・ドンウォン
1933
年平安北道生まれ。韓国陸軍士官学校、ソウル大卒。80年陸軍少将として予備役編入。駐オーストラリア大使。盧泰愚政権下で南北高位級会談代表。金大中政権下で大統領外交安保首席秘書官、統一相、国家情報院長など。著書に『피스메이커Peace-maker)』(중앙books)=日本語訳『南北首脳会談への道 林東源回顧録』(波佐場清訳、岩波書店)など。
写真は、いずれも今年615日夜、南北首脳会談17周年にあわせて韓国KBSで放送された「KBSスペシャル――遠い記憶 615南北首脳会談」のテレビ画面から   https://drive.google.com/open?id=0B6EIENNV3FAJemJNcXN5Skp4bFU
 
今から7年前、私はベルリン自由大学で開かれた「東方政策と太陽政策」をテーマにした討論会に参加しました。ベルリン自由大学は、あの歴史的な南北首脳会談を前に金大中大統領が「ベルリン宣言」として有名になった対北政策を発表した場所です。まさにその場所で、ヴィリー・ブラント首相の東方政策を設計し実行したエゴン・バール博士と太陽政策を設計して実行した私が向き合い、対談形式の討論をすることになったのです。
 


金大中大統領のノーベル平和賞受賞10周年を記念する行事の一環でした。金大中氏をノーベル平和賞候補に初めて推薦した方が、ほかならぬブラント社会民主党党首(198710月)で、2人はその後も親密な付き合いを続けていたのでした。私は本日、当時の対談を振り返り、いくつかのことをお話ししたいと思います。
 


1)ドイツの統一をうみ出した東方政策

この討論会でエゴン・バール博士は「ドイツ統一は吸収統一ではなかった」「『吸収統一』という言葉は、東ドイツ市民は望みもしなかったのに西ドイツが強要し引き込んで統一したかのような誤解を与え得る誤った表現だ」と指摘しました。
 
彼は「ドイツ統一は東ドイツ市民の自由意思による選択であり、東ドイツ市民がそのような決定をすることができるようにしたのがまさに西ドイツの東方政策だった」と強調したのでした。
 
そうなのです。東ドイツ市民は市民革命を通して共産政権を倒し、自由な総選挙を行って3つの統一案のうちの一つであった「併合による早期統一」を選んだのでした。ドイツ統一は東ドイツ市民が統一方式を選び、東西ドイツと戦勝4カ国が話し合いを通して達成した「合意による平和統一」だったのです。
 
もちろん、このような選択を可能にしたのが西ドイツの東方政策であったことは言うまでもありません。西ドイツはその東方政策を長期間にわたり一貫性をもって粘り強く推進して東ドイツ市民の意識変化を促し、心を動かしたのです。
 
西ドイツはブラント政権発足(1969年)後、東ドイツを孤立させる政策を捨て、平和共存しながら「接触を通した変化(change through rapprochement)」を促す政策を推進しました。20年間にわたり、年平均32億ドル規模に達する莫大な現金と物資を多様な名目と経路で東ドイツに送って支援し、毎年数百万人が東西両ドイツ間を往来するという状況をつくり出すなど接触と交流・協力を積極的に推進したのです。
 
ブラント首相は東ドイツ住民の生活水準を向上させ、民族の統合(national integrity)を維持することが統一の基盤づくりにつながると考えました。そうして東ドイツ市民が朝は共産党の新聞を読み、夜には西ドイツのテレビを見るという状況をつくり出していったのです。そんななかで東ドイツ市民の意識に変化が起こり、その心をとらえていったのでした。
 
2)太陽政策と朝鮮半島平和プロセス
金大中大統領は私たちも平和統一をなすには北の同胞たちの心をとらえ、彼らが(自ら統一を)選択できるようにすべきだと考えました。北の同胞たちの意識変化を促し、その心をとらえるために太陽政策を推進したのです。東方政策をベンチマーキングしたというわけです。
 
しかし朝鮮半島の南北はドイツとは違って同族で殺し合う戦争をし、互いに仇敵となりました。憎悪と不信をなくすには和解と信頼づくりが最も重要、かつ至急の課題にならざるを得ません。勝つか負けるかというゲームを共存の「ウィン―ウィン」(win-win)のゲームに転換するには対話と接触、交流と協力を通して変化することが可能な条件と環境をつくっていかなければなりません。
 
朝鮮戦争の砲声は止みましたが、法的にはまだ戦争が終わらない休戦状態にあります。それによって深まった敵対関係を解消するには軍事休戦体制を平和体制に転換する課題も解決していかなければなりません。戦争を防ぎ、緊張を緩和して平和を守るだけでなく、安全保障面の不安を根源から解消できるよう平和をつくっていかなければなりません。ブラント首相の言葉を借りれば「平和がすべてではないが、平和なくしては何ごともできない」のです。
 
金大中大統領は就任演説(19982月)で、南北関係を改善して統一の大路を開いていくと宣言し、対北政策の3大原則を提示しました。①どのような武力挑発も決して許さない②吸収統一をする考えはない③和解と協力を積極的に推進していく――というものです。平和を守りながら平和をつくっていこうというのです。
 
金大中政権は北を平和と統一のパートナーとして認め、和解と協力の包容政策(Engagement policy)を推進しました。この政策は南と北はもうこれ以上互いに冷戦の北風を吹かし合うのではなく、和解と協力の暖かい太陽光を当てようという意味合いから「太陽政策」の名で広く知られるところとなります。太陽政策は和解と協力を通して北が自ら変化できる環境と条件をつくり、平和をつくっていこうというものです。「和解」「協力」「変化」「平和」が太陽政策の4つのキーワードです。
 
南北関係を改善して南と北が互いに行き来し助け合い、分かち合いながら分断によって生じたお互いの勝手の悪さと苦痛を最小限に抑え、平和共存して民族の同質性を回復していこうというものです。内外情勢が政治的統一を許さない状況にあってまずは経済、社会、文化的に統一したも同然の「事実上の統一」(de facto unification)といえる状況から実現していこうというものです。
 
南北関係が凍てついていた金大中政権の初期、太陽政策はまず、易しいことから始め(先易後難)、民間が先に立ち(先民後官)、経済分野から推進し(先経後政)、先に与えて後でもらう(先供後得)という政経分離の原則に基づく現実的な接近方法をとりました。

一方で金大中政権は米国のクリントン政権に対して韓国といっしょに朝鮮半島の冷戦構造を解体し平和体制を築いていこうと説得しました。北朝鮮の核・ミサイル問題は米朝敵対関係の産物であって対症療法では解決できず、朝鮮半島の冷戦構造解体という根本的かつ包括的なアプローチで、平和プロセスを通して解決していかなければならないと説得したのです。
 
北朝鮮との関係を改善し、休戦体制を平和体制に転換しながら大量破壊兵器問題も解決していく朝鮮半島平和プロセスを推進する外交努力に注力したわけです。
 
クリントン政権は金大中大統領の提案を受け入れ、日本政府もこれに加わりました。中国、ロシア、EUも積極支持し、協力しました。韓米日3国がそれぞれ北朝鮮との対話を通して関係正常化問題の包括的解決に向けた努力を始め、朝鮮半島平和プロセスを推進しました。
 
このような状況の進展を背景に、歴史的な南北首脳会談が実現し「615南北共同宣言」が採択されることになります。米国も北朝鮮との2国間関係の根本的な改善をうたう「米朝共同コミュニケ」(20001012日)を採択し、米朝首脳会談を準備するためにオルブライト国務長官が平壌を訪問するなど、米朝関係も急進展することとなります。日本の小泉首相も平壌を訪問して「平壌宣言」(2002917日)を採択し、国交交渉を推進します。朝鮮半島の冷戦構造解体のための平和プロセスが活気を帯びることになったのです。
                                  (つづく)