2016年8月9日火曜日

「満州」への旅③――満州建国大学の建物

国立長春大学は、長春の玄関口・長春駅からまっすぐ南にのびるメーンストリート、人民大街と東西に走る衛星路が交差するあたりにあった。

正門に近づくと、角帽、ガウンのアカデミックドレスの学生たちがしきりと記念写真を撮りあっている。中国の大学はいま、この6月が卒業シーズンなのだという。正門をくぐると真正面に大きな図書館が迫り、その前に孔子像が立っていた。







キャンパス内で、通りがかりの何人かの学生や教職員とおぼしき人に建国大学の建物のことを尋ねてみるが、みな、首をかしげてしまう。それらしい建物を探しながらキャンパス内を歩いてみるが、ともかく広い。マツの並木の間に古いレンガ造りの建物も見つかったが、どうやら、それらしくはない。

1時間余り歩き回り、たまたま出会った清掃係りのおばさんたちに聞いてみると、この大学に長く勤務している高齢の職員がいるので、その人に聞いたら分かるはず、とのこと。通訳の王くんが、さっそくその人の部屋を訪ね、聞いてきてくれた。その話というのはこうだ。

建国大学の建物の一部は確かに、このキャンパス内に残っている。それは、この大学の「第2学生公寓」、つまり第2学生寮として最近まで使われていた建物で、いまもそのまま残っている。ここからちょっと離れているが、「第2学生公寓」といえば、学生らにもすぐに分かるはずだ――。

■第2学生公寓
私たちは「第2学生公寓」を探すことになった。しかし、これも容易ではない。「すぐに分かるはず」なのが、聞く学生、聞く学生、ただ「知らない」「分からない」という返事ばかりだ。しばらくして、ようやく「知っている」という教員らしき人に巡り合えた。目指す建物は、正門前の片側3車線の大通りを挟んで反対側にあった。私たちは陸橋を歩いてそこへ向かった。

陸橋から500メートルほど進むと、「学生公寓」とされる建物群が見えてきた。グレーとベージュのツートンカラー、モルタル外壁の3棟が並び立つ。7階建て、3階建て、6階建て。真ん中の3階建てが「第2学生公寓」なのだという。その建物に近寄ってみる。

 



周り全体が人の背丈ほどの高さの金網で囲われている。黄と赤、ツートンカラーの下地に黒字と白字で「危険 請勿靠近」と書いた板が何カ所かに取り付けられている。近寄るな、危険だ、という意味だろう。入り口の観音開きのドアは閉じられ、施錠がなされている。その上部に英文で「The Students’ Home」の浮き文字板。その下方、入り口ドア横の木製板の文字は一部消えかかっているが、目を凝らすと「長春大学 第二学生公寓」と読める。




そばの6階建ての前に、「寮の管理人」という女性がいた。40歳代後半といったところだろうか。通訳の王くんを通じて尋ねると、目の前の3階建ては確かに満州建国大学の建物の一部だったと聞いているという。
 
「ずっと長春大学の学生寮として使われてきていたが、ご覧の通り、老朽化したため2年ほど前から使われていません。横の2棟は、第3学生寮と第5学生寮で、いまも学生たちが使っています」

なるほど、見ていると、6階建てと7階建ての2棟には学生たちが出入りしている。

■イメージと違った建物
改めて3階建ての第2公寓を見てみる。間口は20メートルほど、奥行きは5060メートルはあろうか。一見、横の2棟と同じように見えるが、違う点もある。他の2棟の窓はいずれも、ほぼ正方形にかたどられているのに対し、この3階建てだけは縦長だ。屋上部分をみると、3階建てだけに、半円筒の換気口のようなものが取り付けられている。

しかし、これが本当に建国大学の建物だったという確実な証拠がつかめたわけではない。確かに、目の前にいる寮の管理人は「そう聞いている」と断言している。そう思って眺めると、確かにそれらしくも見えるが、一方で、疑ってみるとすこし不安にもなってくる。

これが、建国大学の建物の一部だったとすると、建てられてから少なくとも70年以上は経っているはずだ。しかし、その割にはなぜか、「歴史の重み」みたいなものが伝わってこない。

もっとも、これは、私の勝手な思い込みのせいなのかもしれない。

旧満州国の最高学府。あの権威主義が幅を利かせた日本帝国主義の時代、「外地」の京城、台北帝大を含む9帝大と並ぶ大学、ということになれば、その建物もさぞかし、という思い込みである。実際、建国大学の当時の写真を見ると、二階建てのレンガ造りが多かったようだ。重量感もある。それに比べると、この建物は…、というわけである。

長春大学の「第2学生公寓」は、本当に建国大学の建物の一部なのかどうか。建物の内部を覗いて見てみたいという衝動にかられたが、とてもかなわぬ相談だった。ほかにも知りたいこと、聞いてみたいことは山ほどあったが、如何せん、飛び込みの取材である。今回の旅では、この後のスケジュールも詰まっていた。私は文字通り、後ろ髪を引かれる思いでここを去らねばならなかった。

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