2016年2月17日水曜日

「戦争中でも対話」―朴槿恵大統領は有言実行の時/金大中さん、夢の中で直言


久しぶりに金大中大統領と会った。昨晩、もちろん、夢の中でのことである。北朝鮮の核実験やロケット発射で緊迫する情勢そのままに、故大統領の表情はいつになくこわばって見えた。

夢とはいえ、滅多とない機会である。故大統領はいま、この状況をどうみているのか。目が覚めるのを気遣いつつ、強引に金大中大統領との単独インタビューを試みた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 





  金大中(キム・デジュン/1924~2009) 全羅南道出身。1998年~2003年、韓国第15代大統領。対北朝鮮「太陽政策」を掲げ、2000年6月、金正日総書記と南北首脳会談。同年12月、ノーベル平和賞受賞。
 
―非常に緊迫した局面です。南北関係は冷戦時代の真っただ中に逆戻りしてしまったかのようです。

「開城工業団地の閉鎖はショックだ。あれを造るのに、どれほどの努力したことか。きっかけは20006月の私と金正日総書記の南北首脳会談だった。分断後初めて実現したあの会談で私が金正日総書記を説き伏せ、その後、ぎりぎりの折衝で漕ぎつけた南北和解と協力の象徴だった」

「金正日総書記は当初、強い拒絶反応を見せていた。承知のように開城地域は南北の軍事境界線のすぐ北側で、北の一大軍事拠点だった。ソウルまで60キロ。休戦状態で南と対峙する北にとってまさに要衝で、そこを南に開くというのは簡単な話ではない。実際、北の軍内部に強い抵抗があったのを金正日総書記が、私の説得を聴き入れて決断してくれたのだった。南を窺う軍事拠点を開放して和解と協力の拠点にする、つまりマイナスをプラスに180度転換させたわけで、その意義は極めて大きかった」

―それが、いま水泡に帰す危機に直面しているというわけです。

「開城工業団地でいえば、今回、韓国の方からまず、『操業全面中断』を突き付けた。これに対し北は『団地の閉鎖』『南側関係者の追放』『南側の資産凍結』で返し、『南北間の軍通信』や『板門店連絡ルート』の閉鎖、さらには工業団地の『軍事統制区域』化を通告してきた。北の「体制崩壊」にまで言及した朴大統領の昨日(216日)の国会演説はさながら絶縁の最後通牒ともいえる内容だった」

「このままでは、また軍事対決の最前線に逆戻りしてしまう。何ごともつくるのは大変だが、壊すのは簡単だ。この先、いったいどうしようというか。本当に心配だ。最初に『操業中断』のカードを切った朴槿恵大統領の責任は大きい」

―今回は、北朝鮮の方がまず、核実験とロケット(「ミサイル」)発射を行ったのが発端でした。国連で制裁が論議されるなか、朴槿恵大統領から見て中国の消極姿勢が何とももどかしい。そこで自ら率先して手本を示し、国際世論を誘導しようとしているようです。国会演説でもそのようなことを強調していました。

「朴槿恵大統領にはどんなことがあっても平和を守る責任がある。ここは大きな度量と包容力が求められる。北の最高指導者といっても、まだ30歳を超えたばかりだ。経験不足は否めない。それに比べて朴大統領は還暦を超えており、政治経験も随分と豊かだ。経済面など総合力からいって北は南と比べようもない。それを同列に並んでただ、ムキになり、売り言葉に買い言葉という感じでやっていてどうしようというのか」

「朴大統領はこの間『戦争中でも対話は必要だという言葉があり、緊張緩和と平和定着のためには対話を続けなければならない』と繰り返してきていたではないか。有言実行。いまこそ、それを行動で示すべき時だ。民族の将来、東北アジアの平和を考え、もっと大きな観点から、北の若い指導者を国際社会に引き込む努力をしていくべきだ。時間をかけて交流を重ねれば北も必ず変わる。それが歴史の必然というものだ」

―先日、平壌に太いパイプがある在日朝鮮人と話す機会があったのですが、「金正恩第1書記は裸の王様になっているようだ」と憂えていました。厳しい粛清の繰り返しで、だれも本当のことを言えなくなっている。取り巻きは顔色を窺ってばかりいるようだ、というのです。

「簡単な状況でないことは確かだろう。しかし、だからと言って、ただ圧力をかければいいというものではない。われわれは戦争をするわけにはいかない。対話しかないのだ。米国の元駐韓大使、ドナルド・グレッグさんも先ごろ、朝日新聞とのインタビューで改めてそのことを強調していた。グレッグさんは2年前に北朝鮮を訪れたさい、平壌駐在のスウェーデン大使夫妻と会ったときのことを話していたが、大使夫妻は『制裁は権力を持つ人たちには影響を及ぼさず、権力のない弱い人たち、庶民を傷つけているだけだ』と言っていたそうではないか。それが北の体制なのだ」

「ともかく、追い詰めるだけというのは危険だ。日本でも戦前の体験に照らして、そのことを恐れる声があるようだ。先日、京都新聞を読んでいたら、いまの対北朝鮮包囲網を戦前の『ABCD(米英中蘭)包囲網』の類推でとらえ、憂うる声が紹介されていた。韓国では『易地思之』ということをよく言う。立場をかえて之(これ)を思う―つまり、相手の立場に立ってみると見えなかったものも見えてくる、という意味だ。いまはとくにそれが必要な時だ」

<グレッグ氏のインタビューは今年213日付朝日新聞に掲載された。氏は「朝鮮半島の非核化に向けて国際社会は何をすべきか」との問いに、「対話をすることだ。とりわけ米国が果たすべき役割は大きい。…北朝鮮は朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に変えることで、体制の存続をはかろうとしている。米国に北朝鮮と再び戦争をする用意がない以上、対話のほかに選択肢はない」などと答えていた>

<今年211日付の京都新聞「読者の声」欄は、京都市右京区の太田垣幾也さん(85)の「北朝鮮制裁のみは危険」とする、概略次のような意見を載せていた。

70数年前、米国は日本への石油輸出を禁じた。日本軍の南部仏印(現ベトナム)進駐への対策だったのだが、政府は「ABCD」が日本を包囲している、と対米開戦の口実にした。当時1112歳の私は疑うなど思いもよらず、日米開戦に興奮したものだ。

▽国外の情報が制限されるなか、自国の「庭先」で米韓が軍事演習を行い、米国は石油禁輸を言い立てる。日米韓の動きがABCD包囲網と酷似する中で、北朝鮮の12歳は過度に緊張するのではないか。

▽米国は(70数年前に)「制裁」で日本を「窮鼠猫をかむ」という状況に追い込んだ戦略を北朝鮮にも使うのか。米国務省の報道官が金正恩第1書記を「予測不可能な若者」と評したそうだが、一国の指導者に対し、あまりに傲慢かつ挑発的ではないだろうか。安倍政権が米戦略に追随するのは危険だ>

―引き続き日本の新聞も読んでおられるのですね。地方紙にまで目を通しておられるのはさすがです。で、具体的には、どうしたら、いいのでしょうか。(つづく)

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